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WEBLOG

SFとは何なのか?

すこしふしぎ

21世紀も10年以上が過ぎ去った今、あの頃、つまり「来るべき21世紀に胸を躍らせた日々」とあまり変わりのない生活を送っています。少なくともSF小説にあったような宇宙旅行も時間旅行もできないし、巨大ロボットが実用化されたという話も頓と聞きません。強いて云うなら、インターネットという地球規模の情報網が張り巡らされ、情報へのアクセスの様態に大きな変化が生じたことは、あるいは21世紀的な事象なのかもしれません。
いや、インターネット的なテクノロジィは、数多のSF小説で読んだ話だし、携帯電話やロボットも如実に進歩を遂げています。少しずつながらきっと「21世紀=SF世界」という図式に向けて歩んでいるのだと思います。

“SF”

誰しもこの言葉に漠然としたイメージを持っていると思いますが、厳密には何を指しているのでしょう。

日本では、かつてSFを「空想科学小説」などと呼んでいましたが、次第に“SF”という呼称が一般的になり、少なくとも現在に於いては小説に限定されるものでもなく、広い見方をするのであれば、アニメイション、映画、ゲイムといったジャンルにもSF作品と呼ばれるものが数多く存在します。ですので冒頭ではあえて「SF小説」としました。

さて、SFとはご存知の通り“Science Fiction”の略です。SFは、物理学・生物学・天文学などの自然科学の理論を踏まえ、そこから現実には実現できていない理論(例えば、恒星間移動や時間移動)を編み出し、そこに冒険・謎解き・社会風刺・文明批評といった要素を織り交ぜることで構成されます。基本的な理解としては、SFは科学法則に縛られるものだと考えて差し支えないでしょう。もちろん、この定義はあくまで一般的なものであって、必ずしもこれに該当しないケースもあり、これが「SFか否か」という論争の引き金となることも少なくありません。

現在、SFと呼称されるものには「ハードSF」「ファンタジィ・フィクション」「スペキュレイティブ・フィクション」「スペース・オペラ」「サイバーパンク」といった、SFのサブジャンルと呼ばれる、より細かな分類も数多く存在し、明確な線引きが期待できるものではありません。云い換えれば、それは“SF”と呼ばれる何モノかが、ごくごく一般的になったことに他なりません。
「ハードSF」以外はSFではないと主張する排他主義的な人もいれば、「ファンタジィ・フィクション」まで幅広くSFと看做す寛容な人もいます(ファンタジィは必ずしも科学法則に縛られるものではないという認識があります)。SFファンが某かの作品を指し「コレはSFとは認めない」「アレはSFではない」としばしば口にするのは、こうしたSFについての前提が異なるからなのです。

SF(SF小説)の起源についても同様に厳密なものは存在せず、数多くの説が語られます。
極めて広い範囲で考えるならば、紀元前のギルガメシュ叙事詩や北欧神話などもSFに含まれるのかもしれないですし、あるいは、日本で最も有名な御伽噺『浦島太郎』もSFの典型と云うこともできます。また、16世紀のトマス・モアによる『ユートピア』もSFの原型と考えることもできるでしょう。
逆に極めてその範囲を狭めるならば、1926年に創刊された世界初のSF専門誌〈アメージング・ストーリーズ〉をSFの起源とする捉え方もあるかもしれません。

一般的な説としては、1818年の『フランケンシュタイン』(メアリ・シェリー)がSFの草分けとされています*1。そして同作以後、19世紀中には、1835年『ハンス・プファアルの無類の冒険』(エドガー・アラン・ポオ)、1869年『海底二万里』(ジュール・ヴェルヌ)*2、1895年『タイム・マシン』(H・G・ウェルズ)、1898年『宇宙戦争』(H・G・ウェルズ)といった名作が世に送り出され、謂わば近代(現代)SFの礎となります。

*1
人(ヴィクター・フランケンシュタイン)が神に代わって創造主となり、生命(怪物/人造人間)を誕生させるが、それは創造主を滅ぼす結果となってしまう(フランケンシュタイン・コンプレックス)。誤解されていることが極めて多いが、本来は「フランケンシュタイン」は怪物の名前ではなく、「怪物」を創った科学者の名前であり、怪物そのものに名前は無い。また、怪物のイメージは、頭部は筒状で平たく、ボルトが埋め込まれたようなものを想像する人が多いだろうが、これは1931年に公開された米国のユニヴァーサル映画『フランケンシュタイン』(ジェームズ・ホエール監督)の影響が非常に強いためである。あるいは、日本人であれば藤子不二雄の『怪物くん』(現在は藤子不二雄丸A名義)のフランケンを思い浮かべる人も多いかもしれない。

*2
新世紀エヴァンゲリオン』で知られるガイナックス製作の名作アニメ『ふしぎの海のナディア』は、本作が原案である。ところで、2001年に公開されたディズニー映画『アトランティス』のナディア盗作疑惑で世界中が騒然となったのを記憶している人もいるかもしれない。『アトランティス』もナディア同様にジュール・ヴェルヌの『海底二万里』をモチーフとしているはずだが、『海底二万里』には無いナディア独自の登場人物・設定・シナリオなどに酷似した部分が数多く見受けられたため、盗作疑惑が持ち上がった。因みに『ふしぎの海のナディア』が放送されたのは『アトランティス』より10年以上も前の1990年のことである。

一方、明確に“Science Fiction”という言葉を用い、文学的に、そして商業的に“SF”というジャンルを確立させたのは、ルクセンブルクより移民したユダヤ系アメリカ人のヒューゴー・ガーンズバックその人です。ガーンズバックは、これまで単純に「科学的な要素のある小説」として漠然と扱われてきたものを、ひとつのジャンルと自覚したのです。
先述したポオ、ヴェルヌ、ウェルズ、の書くようなタイプの小説、つまり科学的事実と予言的ヴィジョンを綯い交ぜにした魅力溢れるロマンスを“Scienti-Fiction”と呼称しました。

1926年にガーンズバックは、世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊します。ここで、従来の“Scienti-Fiction”を“Science Fiction”に改め、本格的に「ジャンルとしてのSF」が確立されてゆくことになります。

SFの成り立ちについて長々と書き連ねてきましたが、つまるところ、SFの定義や起源は人によって考え方が異なるので厳密に線を引くのは不可能であるし、これを論じるのもまた楽しみのひとつであるといえます。但し、排他的にはならず、白熱した議論をしたいものです。

因みに、個人的には「すこしふしぎ」という感性が“センス・オブ・ワンダー(Sense of Wonder)”を刺激するし、とても馴染むのです*3。:)

*3
簡単に補足しておけば、「すこしふしぎ」は藤子・F・不二雄がSFを定義した言葉、そして「センス・オブ・ワンダー」はSFをSFたらしめている根源、即ちSFの本質のようなもの。これらを語り出すとそれだけで本が一冊書けてしまうので、機会があればその際にまた言及したい。;)